鑑定歴13年、シニア向けにアレンジしていきます!

介護が必要になっても

安心シニアライフを送り

長生きが幸せと感じられる世の中へ

認知症介護の専門家

「快護ライフ案内人」

加納健児です。

大阪の知り合いの方より、名古屋での
セミナー講師ということで紹介をして
いただきました。

相手の方は、婚活のお仕事をしている
とのこと。

実は私は25歳より鑑定師として14年間
のべ1300人以上の方の鑑定をしてきました。

占いをはじめるきっかけとなったのは
高校3年生の時に、受験勉強で伸び悩み
親の期待、価値観で生きてきたことに
疑問をもったことです。

それから大学受験はそっちのけで
宗教、哲学、文学、心理学など
図書館に通い、人生の真理を求めて
いきました。

すぐに答えが見つかるわけもなく
21歳のある時、手相フェアがやっており
鑑定をしてもらいました。

漠然とした将来の不安をもっていましたが
鑑定によって希望や自信がもてたことで、
占いの世界に興味をもち学んでいきました。

そして下積みの4年間をへて、プロとして
活動するようになったのです。

鑑定のモットーは、「希望を与えること」

当たる、当たらないの次元ではなく
鑑定をうけてもらうことで、
悩みが解消され、やる気に満ちて前向きに
なっていただけるよう意識しています。

介護の仕事を通じて、生死について常に考えるよう
になり、今後はシニア世代の方がより輝いて
活躍できるよう、助言をしていきたいです。

占いは上手に活用して、良いものは伸ばして
悪いことは、回避する、または小さくして
お客様の本来もっている、才能が発揮される
ことを望んでいます。

これは、現在の仕事にも通じる考え方の
ベースになっています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

追伸

普段は、恋愛や結婚、仕事に関する相談が
多いです。婚活に関するアドバイスも占い師として
できます。

加納健児

 

プロフィール修正 ③/3 子どものいないシニアとの関わり

★子どものいないシニア世代との関わり
話は昔にもどりますが、
中学時代の友人が18歳の時、バイク事故でなくなりました・・・
子どもを失ったご両親の悲しみを和らげようと
命日や実家に帰省をした時に、友人の自宅に顔を出していました。
一人息子さんをなくしてしまったので、ご夫婦と母親の3人暮らしの世帯です。
私が社会人となった25歳の頃、
友人の母親が、いけ花の教室を開講したとの話を聞き、
それ以降、月1回のペースで通うようになりました。
花に興味があるというより、友人の両親が私の成長を気にかけてくださり、
定期的にあって話をすることを楽しみにしていたからです。
実は、先生は30代の頃より、腎臓疾患を煩い、週3回透析をするために
通院する生活をおくっていました。
花の教室は趣味を活かした先生の生きがいの場として、花だけでなく、恋愛や仕事や病気についてなど、毎回サロンのように、いろいろな話をして楽しく過ごしてきました。
ご主人の母親が高齢になるについて認知症の症状がでてきて、
介護についての相談を受け助言をしました。
また透析生活が長くなることで、心臓や体への負担が増してきて
手術をうけることになり、その時も相談にのりました。
夫婦で話あってある程度の方向性をきめていても、
手術をするメリットとリスクがあるため、
なかなか決断できずにいたようです。
「介護や医療の専門家である、加納さんから意見を聞けて、
背中を後押ししてもらえた。夫婦だけでは本音は話せないことも
あるので、信頼して相談できる人がいて良かった」
と言われました。
この時、本当に困っている人に役立つ喜びを感じました。
18歳の時からずっと継続して、子どものいないシニアの方の
不安や悩みを相談を受けてきたので、頼れる存在がいることは
将来の不安が解消され、安心した老後をおくれます。
同じような環境で、将来のことで不安を抱えているシニア世代の方の
力になりたいと考えるようになりました。
★施設介護での限界
施設での生活をされるご縁のあった方に、回想法を活用して
より良い老後を送ってもらうため、全力で介護、支援をしてきました。
しかし、全ての方に活用できるわけでない現実に限界を感じるようになりました。
入居時に、重度の認知症の方や、寝たきり状態の方に聞き取りが困難であること話ができたとしても、自分の殻に閉じこもってしまい、心を開いてくださらない方、
また子どもとの関係が疎遠で、ご家族からの話が聞き取りにくい方など
昔の情報が聞き取りにくい場合には、回想法の実践は難しくなります。
「もっと元気なうちに、自分の情報をまとめてさえいれば、
介護が必要となっても納得のシニアライフを送ることができる」
60代の元気なうちに老後の備えをして欲しいと強く願うようになりました。
そして、介護が必要になっても安心して快護ライフを送るための
必要な情報をまとめるツールを開発しました。
それが『自分史・快護マップ』です。
回想法のなかで、介護現場で使える情報は何か取捨選択をして
大切な情報をまとめることができます。
第三者が見て、どんな人生を歩んできたか、何を大切にしているか
どんなことをして欲しいか、明確にわかるようになっています。
自分史と回想法、エンディングノートを融合したツールです。
文章力に自信のない方でも、関連する写真を活用して、簡単な質問
に答えていくことで、簡単にまとまるように工夫しています。
エンディングノートの要素もあるので、遺言、相続、葬儀などの
情報も1冊にまとめているので、これだけで
元気な時から
介護が必要になっても
お亡くなりになったあとも
自分の気持ちや意思を残しておくので、納得のシニアライフが送れる
ようになるのです。

★花の先生、父との別れ・・・

花の先生は透析30年近くなり、心臓や手や足の手術などを繰り返していきました。
「もし何かあったら頼むよ」と話していましたが、昨年の春に状態が悪くなり
救急搬送後に、病院で息を引き取りました。享年63歳でした
病院での看取りから、自宅へ戻り葬儀屋との打ち合わせ、そして通夜、葬儀と
一連のことを最期までお付き合いをして、先生との約束を果たしました。
20年間の長いお付き合いのなかで、多くのことを学ぶことができました。
また辛いことは続きました・・・
元気が取り柄で病気知らずの父が1年ほど前に膀胱ガンが見つかり、手術をしました。
一旦退院できたものの、半年もしないうちに体調不良となり、再入院しました。
そしてガンの転移がわかったのです。余名3ヶ月の宣告があり、
看病も届かず、最期は自宅にもどり1年間の闘病生活後に亡くなりました。
享年65歳でした。
病は突然やってくる
人生いつ何が起こるかわからない
元気なうちに早めに備えておかないと、病気や事故などで、
とたんに人生が変わってしまう
辛く苦しい経験から、一人でも多くの人に
「元気なうちから備えをして、納得のシニアライフをおくってもらいたい」
と強く思うようになりました。
★ミッション

「介護をうけることは不自由であるが、不幸ではない」
「介護→快護へ」
「介護という家族に迷惑をかけるという負のイメージから、
快護へと前向きに明るいイメージに変えていきたい」
「元気なうちに準備をしておけば、老後の介護の不安は解消でき
快適に介護(快護ライフ)を送ることができ、納得シニアライフを
送ることができる」
「子どものいないシニア世帯の方へ、信頼できるパートナーとして
生涯お付き合いをして、納得のシニアライフを送っていただきたい」

これを伝えていくことが、私のミッションであると揺るぎない気持ちになりました。
★ビジョン

「介護にたいする不安がなくなり、自分らしい人生を全うできること
快護されながら、納得のシニアライフを送ることができる」
「長生きが幸せと実感できる世の中にしたい」
「日本が世界一の福祉国家となるよう尽力したい」


そんな世の中になれば、日本だけでなく世界中の人々が
長生きすることに喜びと充実を感じることができ
本当に幸せな人生を全うすることができるのです。
そんな理想の世の中にしていくべく
一人だけでなく、共感してくれる仲間をあつめながら、
がんばっていきます!
長文を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
介護が必要になっても自分らしく納得シニアライフを送るために、
このブログはたくさんのヒントや情報を散りばめています。
一人でも多くの方が、自分らしい納得のシニアライフを送ることが
できますように~
★学歴
広島大学中退
日本福祉大学卒業
名古屋大学大学院医学系研究科卒業
★職歴
特別養護老人ホーム悠々の里
有料老人ホームアミーユ
グループホーム瑞穂ケアセンターあお空
★趣味・特技★
・花道家元未生流
・大日本正義流剣舞術
・関西吟詩文化協会(雅号:心輝)
・スキー
・釣り
・登山
・占い(鑑定歴13年、1300人以上鑑定)
 希望を与える鑑定をモットーにしてフリーで活動中
★資格★
・介護福祉士
・社会福祉士
・介護支援専門員(ケアマネジャー)
・介護保険認定調査員
・認知症実践リーダー研修終了
・認知症共同生活介護(グループホーム)管理者研修終了
・花道家元未生流教授
・上級手相家
・上級気学師
・上級タロット鑑定士
・西洋占星術師
・印相師
・名刺相師
★介護法律経済研究所、事業内容★
1、研修、セミナー等の開催
2、任意後見・成年後見事業

プロフィール修正 ②/3 回想法との出会いから~

★回想法との出会い
福祉系の専門学校を卒業して「介護福祉士」の資格を取り、
地元の特別養護老人ホームに就職をしました。
現場で悩んだことは、認知症の方との関わりです。
普通に会話のできる方は、意思疎通ができますが、
認知症で会話がしにくい方だと、問いかけに見当違いな返事がかえってきたり、予想もしない行動がみられたりと、慣れないうちは戸惑ってしまいました。
認知症の方への関わり方を模索していた私は、書店で本を探していき、「回想法」という内容の本に興味をひきました。
回想法とは、昔の話を聞くことで、記憶力の改善や維持、生活意欲を向上させる心理学的な療法です。
昔話をすることで、記憶力や生活意欲の改善につながるのであれば、素晴らしい方法だと感じ、それ以降は積極的に昔の話を引き出すようにしていきました。
★回想法の気づきと展開
回想法を意識して、日頃の会話に取り入れていくうちに
認知症の方は、同じ話を何度もするから困るという考えがありますが、それは間違っていることに気づきました。
何度も繰り返して話すエピソードの背景には、なにか大事なメッセージが秘められていることが分かってきたのです。
ご利用者一人ひとりには、なにか得意だった、自慢したいような過去のエピソードは必ずあるものであり、うまく背景をつかむことができれば、いきいきとした表情で話されます。
そうすることで過去の良い経験の感覚が再現されて、生活意欲にあがってくると実感できました。
得意な話題をもとにお話を聞くことで、その方が大切にしている価値観が徐々にみえてきて、話しを聞くことが苦にならず楽しく受け止めることができるようになりました。
そして、自分が経験したやり方を同僚や先輩にも教えていき、一緒に実践をしてもらうよう声をかけていったのです。
自分一人で話を聞くよりも、多くのスタッフが協力することにより、
現状の大変な姿から想像もつかない過去の歴史を紐解けるようになり、より深くご利用者のことを理解でき、尊敬の想いが自然とわいてきました。
さらに、情報の共有化をすることで
本当に相手の方に喜ばれる、ケアの実践ができるようになりました。

★社会福祉士と大学院への挑戦

自分の興味あることの勉強や学びは楽しくやりがいを感じ、社会人になっても
福祉の勉強をしたいと思うようになりました。
現場の介護だけでなく、障害者、児童などの幅広い福祉の分野での活かせる「社会福祉士」を取得したいと考えるようになりました。
社会人2年目から、日本福祉大学の通信過程に入学をして4年間かけて、仕事と勉強を両立させていきました。
そして、卒業を3月に控えた、29歳の秋に知人の医師と箱根旅行にいき、富士山をみながら温泉につかり将来の夢を語りあいました。
「せっかく専門学校からずっと福祉のことを7年間もがんばって、大学卒業の資格をとれるなら、ワンランク上を目指して、大学院で勉強を続けてみたら」とアドバイスをうけたのです。
5年間の介護経験にて自分だけでなく、同僚にも呼びかけ、その効果を実感していたので、さらに精度を上げていき、回想法について深く研究したいと思うようになりました。
大学院の受験は、大学受験から10年以上たった英語のブランクがあり、かなり大変でしたが、努力の結果、なんとか合格することができました。
リハビリ関係の研究ということで、作業療法士が学ぶ学部へ転入をしました。私以外が、作業療法士という環境のなかで、大学院の生活がはじまりました。
★有料老人ホームへの転職、回想法の実践と研究
大学院に社会人入学することになり、職場から通学しやすい環境にするため、
名古屋市内の有料老人ホームへ転職しました。
この会社は、ご利用者の喜ばれることを実践していくという方針がしっかりしており、
相手の方のニーズにあわせた外出プランを作成して、半日から1日もしくは外出して、スタッフが終日付き添いにて、ご利用者のやりたいことを実現していくことに力を入れていました。
ご利用者のやりたいことを引き出すためにも、
その方の過去の人生をお聞きすることは必須であり、
回想法を活用できるピッタリの環境でした。
ご利用者の方に「ここまでしてくれて、本当にありがとう」と言われたり、喜ばれる姿をみることは、介護の仕事をしていく、やりがいにつながりました。
施設にはいったら、自分のやりたいことはできなくなるのではないかという諦め、こんなことを頼んでもいいかという遠慮も、
小さい夢を実現することで、「今度はこんなことをしてみたい」と、ご利用者の方から要望がでるようになり、生き生きと生活されるようになります。
小さな積み重ねがお互いの信頼関係を深めていきます。有料老人ホームでは、豊かな充実した人生を送るためのあり方を経験させてもらいました。
★大学院の留年とグループホームへの転職
有料老人ホームで勤務しなら、2年半が經過して、回想法に関する研究も佳境をむかえました。
残念ながら修士論文が受理されずに、もう1年留年することに、悔しい気持ちでいっぱいでした。
しかし、ここで諦めるわけにもいかず>、「せっかく大勢の方に協力をしてもらったので、誰がみても恥ずかしくない論文に仕上げていこう」と気持ちを切り替えました。
そんな中、グループホームで管理者をしている友人より
「グループホームでケアマネジャーとして一緒に働いてみないか」と声をかけられました。
認知症の方への小グループ回想法というテーマで研究をしてきたので、認知症の方が生活してみえる施設にて働けることは、研究成果をいかせる環境であると思いました。
お世話になった有料老人ホームの上司や仲間に事情を説明して、グループホームへ転職することになったのです。
32歳の秋にグループホームに転職をして、新しい環境と立場での仕事が
はじまりました。
今までは介護員として、現場の仕事をしてきました。
これからは施設のケアマネジャーとして、入居しているご利用者の介護計画、
しいては、晩年の人生設計を託されることになったわけです。
終のすみかとして、施設に入居される方の生活を24時間、365日年中無休で支えていくことが、施設での介護の仕事です。
ご利用者やご家族の思いをもとに、どのようなサービスを提供するのか、介護をするのかをまとめるのが、ケアマネジャーの役割です。
よいサービス提供の前提となるのは、ご利用者の価値観、好み、生き方、考え方を理解することです。そのためには、施設に入居されるまでの生活を知ることが大切になってきます。
そこで昔の話をお聞きする回想法が役立ち、ご利用者の皆さんにとって納得できる晩年を過ごしていただくケアプランを作成できるようになりました。
回想法は、施設のケアマネジャーとして有効な方法であると確信にいたりました。

プロフィールを修正 ①/3 福祉の道へ歩むきっかけ

「介護が必要になっても、自分らしい納得シニアライフ(快護ライフ)を送ることができ、長生きが幸せと感じられる世の中にしたい!!」
これが私のミッションです。
★高校時代の挫折
両親が教員の家庭で育ち、将来は先生になって欲しいという親の期待のもと、大学進学にむけて勉強をがんばっていました。
しかし、高校3年生の夏、模試での得点が伸び悩みこのままでは、志望校の合格が困難となったのです。
小さなことですが、自分にとって初めての壁であり、進むべきか、それとも志望校を下げるのか、決断をしなければならない状況に追い込まれました。
進路について考えているうちに、
「親の期待で大学受験をしてきたけど、良い大学に入学して就職していくことが本当に幸せなのだろうか」という疑問がフツフツと湧いてきました。
「何のための勉強であり、どう生きることが良いのか、幸せな人生ってなんだろう・・・」と人生全般についての根本的な疑念へと膨らんでいったのです。
その日から図書館に通いの毎日となり
哲学、宗教、文学、心理学、成功哲学など・・
人生についての指針を探し求めて
貪るように読書をしていきました。
しかし、短期間で答えが見つかることもなく
志望校を下げたうえで、大学受験をして、広島大学の夜間部に入学することになりました。

★祖母の入院、福祉への目覚め

大学に入学したもの、勉強に対する意義を見い出せなかったので、自然と大学へ足が遠のいてきました。在籍をしているだけでは卒業できず、大学中退をしてけじめをつけ、実家に戻ってきました。
ようやく実家での生活に慣れてきた頃、同居していた祖母が脳梗塞で倒れ入院してしまいました。
病院の医師より「おばあさんは痴呆(認知症)の症状が出てきているので、できるだけ側に付き添ってほしい」との話をうけました。
毎日のように家族、親戚が交代で祖母のお見舞いをしました。
そこで感じたことは、「家族の介護力によって、入院生活が変わってしまう」ということです。
隣に入院していた患者さんの家族は、たまにしか面会に来れない様子で、寂しそうな表情をしていました。
側に付き添う存在がいることは、入院されている方にとって、大きな支えとなること。
側にいることでも力になれるのであれば、きちんと勉強すればもっと役に立てるのではと感じ、その時、福祉の道に進もうと決心をしました。

第24話 大学院の卒業!!10年間の軌跡~

●第24話 大学院の卒業!!10年間の軌跡~

 大学院の卒業にむけ、仕事の休みの日に大学にいき、論文の推敲を重ねていきました。論文提出期限よりも1ヶ月前には、ほぼ完成して、残り1ヶ月で最終修正をしていきました。

 今回は論文審査も無事合格して、残るは論文発表だけとなりました。発表用のスライドも論文を修正するなかで事前に何度も作り直していたので、余裕をもって望むことができました。

 小グループ回想法の認知症高齢者に対する効果は、認知機能の改善はみられませんでしたが、生活意欲の改善がみられました。これは、昔の話をお聞きすることで、懐かしい活躍していた経験が蘇ることになり、意欲が改善するのではないかと考えています。

 非薬物療法として認知され、医療保険適応になるには、まだ研究成果が必要ですが、介護の現場で使う分には、数値でのデータがなくても、参加された方が楽しい時間を過ごしてもらえ、ご利用者の人生を理解できることは、信頼関係が深まるので、役に立つものだと思っています。

 話をもどして、最後の論文発表は7分と短い時間でしたが、緊張感あるなか無事に終えることができました。審査も無事に通過して、3年かけた大学院も卒業することができました。

 大学を中退して、23歳から専門学校に2年間、25歳で就職してからは、福祉大学の通信に4年間、そして大学院にもチャレンジして、30歳から3年間かけて、ようやく卒業することができました。

 人生の進路に悩んでいた時期から、祖母の介護をきっかで福祉の道に生きる決心をして、方向をかえることなく、学び追及してきた10年間となりました。

 

第23話 施設ケアマネは晩年の人生設計士

●第23話 施設ケアマネは晩年の人生設計士

 32歳の秋にグループホームに転職をして、新しい環境と立場での仕事がはじまりました。今までは介護員として、現場の仕事をしてきました。これからは施設のケアマネジャーとして、入居しているご利用者の介護計画、しいては、晩年の人生設計を託されることになったわけです。

 終のすみかとして、施設に入居される方の生活を24時間、365日年中無休で支えていくことが、施設での介護の仕事です。ご利用者やご家族の思いをもとに、どのようなサービスを提供するのか、介護をするのかをまとめるのが、ケアマネジャーの役割です。

 よいサービス提供の前提となるのは、ご利用者の価値観、好み、生き方、考え方を理解することです。そのためには、施設に入居されるまでの生活を知ることが大切になってきます。そこで昔の話をお聞きする回想法が役立つことになりました。

第22話 グループホームへの転職、研究が活かせる職場へ

●第22話 グループホームへの転職、研究が活かせる職場へ

 有料老人ホームで勤務しなら、2年半が經過して、回想法に関する研究も佳境をむかえました。残念ながら修士論文が受理されずに、もう1年留年することに、悔しい気持ちでいっぱいでした。

 

 しかし、ここで諦めるわけにもいかず、「せっかく大勢の方に協力をしてもらったので、誰がみても恥ずかしくない論文に仕上げていこう」と気持ちを切り替えました。

 そんな中、グループホームで管理者をしている友人より「グループホームでケアマネジャーとして一緒に働いてみないか」と声をかけられました。

 認知症の方への小グループ回想法というテーマで研究をしてきたので、認知症の方が生活してみえる施設にて働けることは、研究成果をいかせる環境であり、またケアマネジャーとしての資格を活かせる立場で仕事ができるので、ちょうど良い転職の機会だと思い、お世話になった有料老人ホームの上司や仲間に事情を説明して、転職することになりました。

 

第21話 修士論文が通らずに留年することに

●第21話 修士論文が通らずに留年することに

 秋までの成果をもとに、修士論文の提出期限である、翌年の1月末までに、論文をまとめました。

そして、なんとか期限までに間に合い提出することでき、論文審査会での結果を待っていました。

 担当教授から意見を聞くと「この内容の論文で卒業することはできない、研究論文としての一定の基準をクリアしないことには、厳しいようだが誰でも合格を出すようなことはできない」と話されました。

 意気消沈して、担当教授と今後について話し合いをしました。「せっかく卒業単位までとれ、研究データも集まっているので、あとは1年間時間をかけて、中身ある論文に仕上げていこう、ここで諦めるのはもったいない」と励まされました。

 

 諦めてしまっては今までの努力が無駄になる、もう1年がんばろう!と自分に喝をいれ、気持ちを入れ替えました。

第20話 大学院での研究と修士論文

●第20話 大学院での研究と修士論文

 1年目は夜間大学に通いながら、リハビリ学に関する科目を履修して卒業に必要を単位を取得しました。作業療法学分野に所属しており、私以外は全員、作業療法士の方ばかりでした。基礎知識がないため、授業についていくのがやっとの状態でした。

 そして、自分の研究テーマに関する、先行文献を集めて、1年の秋に自分のテーマを発表する機会がありました。持ち時間3分で、研究背景、目的、方法を話す必要があり、はじめて大勢の前にてスライドを使って発表をしました。

 2年目の夏までに研究を実施して、その成果をもとに半年間にて成果を卒業論文にまとめあげます。

自分の職場だけでなく、会社の関係施設の責任者の方への事前説明をして、協力をしてもらう準備をしたりなど、思ったよりも時間がなく、仕事をしながらも毎日充実した日々となりました。

 秋には研究成果が集まり、来年春の卒業にむけて、1月末までの5ヶ月間にて修士論文をまとめていきました。

第19話 抗加齢医学会(アンチエイジング医学会)への参加

●第19話 抗加齢医学会(アンチエイジング医学会)への参加

 大学院に入学してから、進路のアドバイスをもらったドクターに誘われて、アンチエイグ医学会(抗加齢医学会)に入りました。いかに若く生きるのかをテーマに、医学系の専門職が集まり、研究成果を発表していました。

 

 医師が中心ですが、看護師、リハビリの専門家、薬剤師、福祉分野では社会福祉士が入会することができました。

 

 はじめて参加した総会では、自分は場違いなのではないかという戸惑いで緊張していました。第1線で活躍して成果をあげてみえる医師が中心となり、各分野での研究成果を堂々と発表しています。

 話の内容は専門的すぎて、さっぱりわかりませんでした。しかし、与えられた10分程度の時間で、簡潔明瞭に話す姿に、研究者としての資質や姿勢を肌で感じることができました。

 普段に参加していたセミナーや勉強会は、介護、福祉系の集まりですが、医師がたくさん集う場所は、知的で聡明、自信にあふれる空気が漂い、自分がいる世界とあまりにかけ離れていましたが、研究者としての将来像をイメージすることができ、よい刺激となりました。